【Canadian Rocky】9/13 サルファーマウンテン、エメラルドレイク、モレインレイクなどの詰め合わせ
星空リベンジで、3時に起きて空を見ると、星がたくさん見えた。眠すぎ寒すぎでじっくり見ることはせず、すぐに寝た。やはり寝る前に見たほうがいいな。
7時半に起床して支度を済ませて本日も車にて出発。まずはバンフ市街の南にあるサルファーマウンテンへと向かった。
サルファーマウンテンにはゴンドラの駅があり、一気に2200mの頂上展望台に登って周辺の山々を眺めることができる。
ゴンドラ
朝9時頃だったため、頂上はずいぶんと寒く、数日前に降ったと思しき雪が残っていた。ジャージの上から、フリースのパーカー、ライトダウン、ゴアテックスのカッパを着て、フードで頭を覆ったスタイルで景色を楽しんだ。
朝の東からの太陽に照らされて、周辺の山々もバンフの街並みもとても美しかった。
イギリス英語や中国語、韓国語、日本語が聞こえてきたので、いろんな国から人が集まってきているのが分かる。
十分景色を楽しんだ後は、頂上のカフェでコーヒーとイングリッシュマフィンなどを食べ、再びゴンドラで下山した。下りのゴンドラは乗り込む際に写真撮影をしてくれて、下界の売店でそれを買えるシステムになっていた。
サルファーマウンテンから下りた後は、昨日のレイクルイーズからさらに北西に進んだところにある、エメラルド湖に向かった。
エメラルド湖は、名前の通り、エメラルドグリーンの湖で、湖の周りを一周5km程度で散策することができる。エメラルド湖も例に漏れず周りを山で囲まれており、平坦な道を急峻な山を眺めながら散策するという、山岳好きにとって極めて贅沢な体験ができた。
一周したのち、湖畔の売店でスモークサーモンのベーグルサンドと、アイスを食べて移動。
Nature bridge,
Takkakau fall,
を鑑賞した後に、レイクルイーズのすぐ近くにあるモレイン湖に19時前くらいに着いた。
モレイン湖もまた周囲を岩山に囲まれていて、湖面に写る岩山がとても美しかった。
絶景っていうレベルじゃねぇぞおい!
その後、バンフに戻って宿のすぐそばのレストランでポークリブとフィッシュアンドチップス、カナダビールを満喫し、帰宿。
軽くウォッカのソーダ割りで晩酌して就寝。
今日は森の中や山と山の間の谷を行くことが多かったため、山の陰で涼しいところを歩く場面が多かった。
特に、日没前は、山肌は太陽に照らされているが、自分が歩いているところはすでに日没後の涼しさとなっているような状態で、それがとても過ごしやすく、気温は10℃くらいなのだけれど、涼しくて気持ちいいと感じた。
日陰を歩きつつ十分な光量で照らされた山の写真を撮るというのはこのような山脈でしかできない贅沢なものだと思う。
【Canadian Rocky】9/12 Lake Louise
バンフ滞在2日目。星を見ようとして5時過ぎに起きるも、雲が空を覆っていたために見ることはできなかったので二度寝。
8時に起床。外の気温は0℃。
シャワーを浴びて登山着に着替え、9時前には車に乗ってlake Louiseに向けて出発した。
天気は晴れの予報だったけれども、完全なるガスの白い世界。
終いには小雨まで降ってどうなることかと思ったが、Lake Louise driveという道に入り、湖に向け1700mまで標高を上げていくとガスを抜けて快晴の湖に着いた。
Lake Louise。湖面にビクトリア氷河が写り込む。
Lake Louiseは湖畔にFairmont Chateau Lake Louiseという高級なホテルがあり、湖に向かって正面、左右を山に囲まれており、正面の山はヴィクトリア氷河という氷河を持つ。湖は青からエメラルドグリーンの間くらいの色で、正面の氷河が湖面に写っている。
湖の淵に立つと、眼前にエメラルドグリーンの湖、前方にほぼ180度岩峰が広がり、真後ろには高級ホテルが建っているという、贅沢な光景を見ることができる。
気温はマイナス2℃程度だが日差しは暖かく、キリッ冷えたと晩秋の朝という感じだった。
湖畔のホテル。高級。
まずはLake Agnesというところを目指して2時間ほどトレイルを歩いた。
Lake Agnesは標高2100m程度の湖で、湖畔に山小屋のような小さなティーハウスがある。この小屋の中の匂いは日本の山小屋とさほど変わらず、木造ゆえの木の匂いが、登山客の熱気由来のちょっとした湿気によって小屋に充満していた。
とても懐かしい気分になった。
Lake Agnes & 小屋
そこから、Big bee hiveという2200mほどの山に登り、Lake Louiseを上から見下ろした。
Mt. big bee hiveを下から見下ろすとこんな感じ
Lake Louiseにはアメンボのようにボートが浮いていた
山行中はずっと、雪を被った険しい岩山が見えていた。あそこを登るのは技術的に不可能だなと思う一方、荘厳な山を見ながらのハイキングは最高だと改めて感じた。
2時頃に下山を開始し、5時前に元来た駐車場に帰着。車でバンフ市街まで戻った。
6時過ぎにthe Bisonというバイソン肉を出してくれるレストランへ。バイソンバーガーとバイソンリブアイを注文したが、クセもほとんどなく牛肉のようにおいしかった。
7時半に宿に帰り着き、寝支度をして晩酌の後、就寝。
【Canadian Rocky】9/11 バンフに到着
前回の投稿で2週間のバケーションを取得するとの報告をしたのだけど、毎日奇跡的に日記を書き続けることができたので、それを順次投下していきたい。
まずは初日9月11日の日記を。
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4時半に起床し5時に家を出発した。
行きのタクシーは朝からやたら元気がいい中国人の運転手さんだった。なぜかシートベルトをゆるめて付けていて、運転も荒かったので心配だったが、無事にニューアーク国際空港に着いた。
6時前にチェックイン済ませ、フードコートで朝食。セルフオーダーで適当にソーセージと目玉焼きを挟んでもらったサンドイッチを食べた。目玉焼きの黄身が半熟で意外とおいしくて少々驚いた。
食べかけですが。
7時前に手荷物検査、出国審査をすませる。アメリカからの出国時、普段は全身スキャンをするのだが、今回はなく、アメリカからカナダへは出国のハードルは低いという印象を受けた。
今回初めて乗ったエアカナダの飛行機は、
・フリーWi-Fiでネットがつながる
・トイレには常時6人程度の行列が出来ている
・機内アナウンスが英仏の2カ国語
という3点に驚かされた。乗り心地やサービスは特に普通だった。
飛行機は現地時間11時過ぎにカルガリーに到着し、早速Dollarレンタカーに車を借りに行くも、事前に注文したはずのカーナビがついていないとのこと。なんとか付けられないか聞いてみたら奥からボロボロのカーナビを引っ張り出してきた。シガーソケットに接続するタイプのカーナビだったが、接触が悪く、常にプラグの部分を押さえていないと通電しない、壊れかけのイヤホンのような状態だったため、返却した。
携帯電話は圏外なのでGoogle mapに依存することはできない。今から別のカーナビを用意することもできないとのことなので、止むを得ず空港の本屋で地図を購入するとともに、空港の無料Wi-FiでGoogleマップのルート探索を実施。そこに示されたルートを決して外れないように運転をすれば電波を必要とするルート再探索が不要であるためにインターネット接続なしで目的地たどり着けるという、綱渡りのような作戦を採ることにした。
絶対に道を間違えられないドライブに備えて、空港でハンバーガーとグリルドチキンラップを食べて腹ごしらえをしたりしていたので、結局1時半頃に出発した。
カルガリーの道はそこまで複雑ではなかったので、道は間違えずに済んだ。カナダの国道一号線に乗ると、ナビに106km道なりですと告げられて衝撃を受けた。
ロードサイドの景色は、初めのうちは広大な牧草地帯だったのが、徐々に針葉樹林帯に変わり、最後は切り立った岩山から成る山地へと景色が現れた。それはまさに寒帯の風景のイメージそのものだった。
本日の宿であるBumpers innには4時前頃に到着。15分ほど仮眠を取ってからバンフの街を散歩した。
「バンフっつーところはすごくいいところだね。」
バンフは標高1400m弱にある町で、周囲には岩山がそびえている。ちょっとした川も流れているから、上高地に少し様子が似ている。日本人の観光客がとても多いようで、”日本人が経営しています”と銘打たれたお土産屋さんも2件ほど見かけた。
バンフの町を散策してみて、改めて僕は高地が好きだということを再確認した。やっぱり高地はいい。涼しいし空気が澄んでいて心の淀みが消え去る。その一方で、熊怖いとか低体温怖いという、生存に関わる緊張感が出てくる。これもまた悪くない。
夜は町の酒屋で買ったお酒と持ってきた柿の種で晩酌して10時半に就寝した。
バケーションとは
9/10から9/25まで、会社の2週間休暇を取得することとなった。
これは、センシティブポジションのひとが年に一度オフィスから2週間完全に隔離されなくてはいけないという制度で、欧米における所謂バケーションに当たるものだと言える。
休み前の最終出社日、同僚たちが次々やってきて、俺たちのことは忘れて目一杯楽しんでくれと言ってくれて、しばしの別れを惜しむ握手を求められたのがとても印象的だった。他人の休暇に対してとても好意的なのは欧米ならではかもしれない。
バケーションを取るというのは心身をリフレッシュするためにとても重要視されている気がする。
同僚に、こんな時期に休んでる場合じゃないんだけど…と伝えたら、まあいつ休んでもそれは変わらないんだから気にするなと言われた。なんとも他人の休暇に対して好意的だなと感じた。
これは、欧米においてバケーションを取るということの持つ意味を、身をもって体感した貴重な経験だと思う。
一方で、ここまで彼らが好意的だったのは僕がこの数ヶ月チームのためにそれなりに働いたし飲みに行って信頼関係も築いたし、何より最近顔が死んでたから"もういい…!もう…休めっ!"ってなっただけだったのかもしれない。
そしてバケーション初日の早朝、僕はものすごくリアルに再現された仕事の夢を見たのであった。
何はともあれ、2週間旅をしてきます。
リオ五輪陸上競技 男子400mリレーについて
先日終わったリオオリンピックは当然アメリカでも放送されていて、男子4×100mリレーにおける日本チームの銀メダルをリアルタイムで見ることができた。
一般向けには、日本の銀メダルは世界一のバトンパスによるものという分析にしばしば焦点が当てられているが、陸上ファン界隈ではその他に
・個々の選手の高い実力
・適材適所
という2つのポイントに言及されることが多い気がする。
まず個々の実力について。
今回予選・決勝を走ったメンバーは1走の山縣選手、2走の飯塚選手、3走の桐生選手、4走のケンブリッジ選手の4名だった。
まず1走の山縣選手。彼は今大会の100m準決勝で10”05で走っている。これは彼の自己ベストであり、オリンピックにこれまで出場した日本人の中で最速のタイムである。山縣選手は大舞台で安定した実力を発揮することに定評がある。
また、2走、3走の飯塚選手と桐生選手。桐生選手が100mで10”01を出した際、そのタイムは同シーズンの世界ランキング1位だった。ちょうど同じ時期に飯塚選手は200mでシーズン最速のタイムを出していた。つまり、100mと200mの短距離2種目で、日本人が世界ランキング1位を占めていた時期があり、その2名が今回走っていたのである。
また、ケンブリッジ選手は、その見た目から他の外国人選手と間違われやすい。マッスル根岸という、大学陸上の応援団長的存在が数年前まで中央大学に所属していたのだが、彼は山梨学院大学のエノック・オムワンバ選手に対して「ケンブリッジ飛鳥―!」と叫んでしまうという癖(ネタ)があった。
(参考)マッスル根岸のリオ五輪、4継直後のツイート
オムワンバすげーー!!
— マッスル根岸 (@52305815) 2016年8月13日
(参考)マッスル名言@2014/9/6
【マッスル名言】
— EKIDEN News (@EKIDEN_News) 2014年9月7日
ケンブリッジ飛鳥ー!
(オムワンバにたいして)#マッスル根岸 https://t.co/hN2mVcrpDJ
このように、今回の4継のメンバーは実際に走ったメンバーだけを見ても、日本のリレー史上類を見ないタレントが揃っていたのである。
続いて適材適所について。
4継は1走が第1コーナーを走り、2走がバックストレート、3走が第2コーナーを走り、4走がホームストレートを走る。2回のコーナーと2回のストレートがある。
今回の4人の中で100mの自己ベストタイムを純粋に並べると、以下の通りとなる。
桐生選手:10”01
山縣選手:10”05
ケンブリッジ選手:10”10
飯塚選手:10”22
タイムが速い人がホームストレートを走り、スピードが出しにくいコーナーに相対的にタイムが速くない人を配置すると単純に考えると、1走と3走にケンブリッジ選手と飯塚選手、2走と4走に山縣選手と桐生選手を配置したくなりそうだが、実際にそうはならなかった。その理由が適材適所にある(と思っている)。以下想像を多分に含むが、どのように走順を決定したかをまとめてみたい。
まず1走の山縣選手だが、彼はスタートの反応速度に定評がある。今回のリオ五輪100mの準決勝でも、組トップのリアクションタイムを出している。したがって、走力以上にスタートの実力を活かすために1走に配置されたようだ。
そして2走の飯塚選手。彼は100mではなく200mを専門とする選手である。2走はコーナーの出口から次のコーナーの入り口にかけて走るため、100mよりも少し長い距離を走ることとなる。そのため、トップスピードを維持する技術に長けている飯塚選手が配置されている。
そして桐生選手。カーブは桐生選手のようなピッチ走法タイプの選手に有利だと言われており、また桐生選手はカーブを走る技術が高かったようだ。そのため、持ちタイムは最も早いが、3走を任されることとなったのだろう。
そしてケンブリッジ選手。彼は加速力があり、トップスピードの速さに定評があるそうだ。そのため、バトンを受けて一気にゴールまで加速し、トップスピードを落とさずに粘りきるという技術を買われて4走になったのだと考えられる。
このように、個々のタイムだけではなく、各人の適正を考慮して最適な役割を与えるということが、全体のタイムを向上させているのではないだろうか。
この適材適所という点は、組織の実力を最大限まで発揮させるということを考える際にも、非常に含蓄のある題材だと思う。それについてはまた改めてまとめよう。
トレッキング着手
少し前に、トレイルランニングシューズを購入した。
登山靴は持っているが、サイズが少し小さくてつま先が痛くなるという問題があることと、登山靴を必要とするような山にはアメリカにいる間はおそらく登らないため、低山用の靴が欲しかったというのが主な動機だった。あとはグレートトラバースの田中陽希さんに触発されたというのが裏の動機である。
そして7月頭、MERRELLのトレイルランニングシューズを購入。
更に、6月末にはNY州のDriver’s licenseを取得した。
これは随分と時間がかかった。5月頭に筆記試験を受けて合格。ここで仮免許のようなものを取得できる。その後、自動車学校のようなところで5時間講習を受ける。NYではFuji Driving schoolというところが日本人向けに日本語での5時間講習を開催しており、これを筆記試験合格直後の5月7日に受講した。
その直後に実技試験の予約。これはFuji Driving schoolが担ってくれるのだけど、6月の28日まで予約が取れないとのことで、2か月弱待つこととなった。夏の免許取得の予約はこれが普通らしい。
そして6月28日、試験直前にこれまたFuji Driving schoolの実技講習を1時間受け、アメリカ人の教官を助手席に乗せて10分程度実技試験を受けて合格した。この時点では、ペラペラの紙で仮ライセンスが渡される。これでも運転はできるのだけど、免許証のカードは合格からさらに1か月後の8月頭にようやく届いた。
一つ一つのステップは簡単なくせに、実際の免許取得まで丸3か月もかかった。
そして、7月30日、ついにアメリカでのトレッキングデビューを果たした。
初回はBear Mountain。標高393m。丘ですねこれは。
2回目はMinnewaska State Parkを散策。トレイルをちょっと走り、トレイルランニングの味見をした。
そして3回目は昨日、Pine Meadow LakeというBear Mountain State Parkにある湖周辺のトレイルを散歩。これはガチでただの散策だった。
日本で3000m前後の山に登っていたのに比べると物足りないものの、異国の地でトレッキングの勝手がわからない以上はあまり冒険できないのも事実。また、そもそも東海岸はアパラチア山脈という、なだらかな山脈の代名詞のような山しかないので、あまり高所の展望には期待しないほうがいいのかもしれない。少なくとも米国東海岸は、どちらかといえば、登山よりもトレイルランニングがメジャーなのだと思う。
今度は誰かの紹介でもう少し本格的なトレイルランニングか、標高があって展望のいいところに行ってみたいものだ。
来月はカナディアンロッキーに行く予定なので、そこでどのような違いを感じることができるか、楽しみ。
【おまけ:レンタカーの車窓から】
Minnewaska state parkの外観
Freeway的なん
Riverside drive 奥に見えてるのはハドソン川
ボストン旅行
仕事において相応のストレスが溜まっており、何かしら非現実的なことがしたいと思い立ったのが先週木曜日のこと。
ニューヨークメッツの試合を見に行こうかと思ったがメッツはアウェイゲームのため不在。ミュージカルを見に行こうかとも思ったが、もっと現実から離れるために、ボストンでも行くかということになり、宿とアムトラック(アメリカの新幹線)を予約した。
土曜日、朝5時半に起床し、6時に家を出発。7時にニューヨークのPenn stationを出発するアムトラックに乗った。
4時間15分後の11:15にボストンのSouth stationに到着。
前にワシントンD.C.に行った時にも似たような印象を受けたが、ニューヨークと比較して道が綺麗で人が少ないというのが第一印象だった。
ホテルはHarborside innというホテルを予約していたので、そこまで15分ほど歩いて移動し、荷物を置いて早速観光することにした。
ボストンの観光スポットや名物をざっくりリストアップすると、
①アメリカ独立戦争の発端の地
④ボストンレッドソックス
⑤シーフード
⑥水陸両用バス
あたりが挙げられるが、今回は①、⑤、⑥を楽しむこととした。
観光の内容を時系列でまとめると概ね以下の通り。
ホテルの近くに、Quincy marketというショッピングモールがある。まずはここに移動してロブスターロールとクラムチャウダーを昼食として食べた。※⑤
続いて、ボストンの主要な観光スポットをつないでいる、Freedom trailに沿って、ボストンの史跡を巡ることにした。※①
Freedom trailとは:
全てを巡るのに大体3時間程かけた後、かなり早めの夕飯を、Union oyster barで。
ここはケネディ元大統領がよく来ていたところとのことで、ケネディ大統領の指定席も仰々しく飾られているのが印象的だった。
夕方4時過ぎに入ったにも関わらず、30分も待たされたので人気なのだろう。
ここでオイスターとロブスターを食べた。※⑤
さらにお昼に食べそびれたclam chowder with bread bowlを食べてホテルに戻る。 ※
疲れと酔いで、その日は6時過ぎにベッドに倒れこみ、翌朝9時頃まで寝た。
日曜日は寝坊したものの、帰りの電車が17:40発であったために十分に観光できた。
まず地下鉄のGreen lineでGovernment centerからPrudentialまで移動。すぐ近くを発着するDuck tourに参加した。※⑥
こんな車に乗る。
陸上と水上
Duck tourは水陸両用バスに乗ってボストン市街の観光ポイントを通り、最後に川に着水してざっと漂流してから上陸して出発地点まで帰ってくるというもの。
1人35ドルくらいするので高いものの、水陸両用バスの物珍しさとボストン市街観光を兼ねられるので乗ってみる価値はあると思う。
続いて、Duck tourのスタート地点のすぐそばにある、legal seafood restaurantで食事。ここではロブスタービスクとフィッシュアンドチップスとカラマリフライを食べた。※⑤
そこからボストン市街を散策し、ベイサイドを軽く観光してボストンSouth stationへ。
ボストンで受けた印象を改めて箇条書きにすると
・アメリカがイギリスの植民地だったことを意識させる都市
・アメリカ最古の○○を謳う施設が多い
・景観規制か、DUNKIN’ DONUTSやセブンイレブンも全て緑と茶色に統一されている
・DUNKIN’ DONUTSがめちゃめちゃたくさんある
ボストンにむちゃくちゃたくさんあるDUNKIN' DONUTS。アイスラテ、ラージ。でかすぎワロチ
・サミュエルアダムスという英雄の名前を冠したボストンラガーがおいしい
サミュエルアダムスはもともと建国の父と呼ばれてる人物でボストンにお墓もある。日本に置き換えると神武天皇っていう地酒があるみたいなもんですな。
・6月はまだまだ肌寒い
そのあと帰ってきたニューヨークは臭くて汚かった。
それでもなお、なんだか I Love New York City と叫びたくなるような都市だなと感じた。ボストンの歴史あるきれいな町並みとはまったく違う魅力のある都市なんだなと改めて感じることができるのもまた、旅の面白さ。