備忘録

主に身の回りのことの備忘録。

マンハッタン文化圏

今日珍しく日本人以外の同僚と昼食を食べに行く機会があって、そこで聞いたそれぞれの出身に関わる話が面白かったので備忘録として書いておく。

今日食事に行ったのは、
 Aさん:インド人(18歳からアメリカ)
 Mさん:ロシア人(8歳からアメリカ、母親の実家はカザフスタン)
 Rさん:アメリカ人(スペインとイタリアのハーフ)
 Jさん:アメリカ人(イギリスとイタリアのハーフ)
という人たち。

それぞれから興味深い話を聞くことができたのでまとめておく。

Aさんより
今日は彼にインド料理屋に連れていてもらう会だった。
連れて行ってもらったお店の料理はとてもおいしかったが辛かった。
Mさんは辛い、口が痛いと言っていたが、Aさんはインド料理を食べてもスパイシーだと感じないそうだ。
韓国人がキムチを平然と食べるのと同じように、インド人もインド料理を食べても平気なようだ。

彼によれば、マンハッタンにあるインド料理屋は、大体インド北部の料理をベースにしているところが多いらしい。
一口にインドといっても、北から南まで縦長で、文化もかなり異なるのであろう。

彼はインドのゴアというところの出身だということなのだが、ゴアはロシア語に溢れていると言っていた。
ロシア人がバカンスで来る土地なのだそうだ。
バカンスでインドに行くという発想は東アジアの人間からはなかなか想像がつかない。

Mさんより
彼はお母さんの実家がカザフスタンで、来週帰省するらしい。
インド料理を食べながら、家に帰ったみたいだとしきりに言っていた。カザフスタンにもサフランライスやインドの香辛料の効いた料理がよく食べられているようだった。
カザフスタンとインドを一連のものとして見做したことがなかったのでとても新鮮だった。

Rさんより
彼は女好きなのだが、それはイタリアの血だったのかと今日初めて知った。

Jさんより
日本は他の国と違って単一民族国家で、同一種族での交配が主であるために遺伝子が弱くなるんだよな。
と言われて返事に困った。

 

改めてだけれども、僕は中央アジアに関する知識が全然ないなということに気がついた。

トルコの隣国はどこだという話にもなったが、僕は、あーんイスタンブール?という謎の返事をして無事死亡。
もっといろいろ調べ、聞いてみたいものだ。

 

総じて、ニューヨークに住む人はルーツに関する話や文化的な違いに関する話をするのが好きだなと感じる。
ユダヤ教イスラム教の連中とごく普通に仕事で喧嘩したりする環境は、改めて考えてみると貴重だ。

アルーバ旅行

5/18から5/21まで、カリブ海に浮かぶABC諸島の一角、アルーバという島に行ってきたので、簡単に旅行記をまとめておく。

 

5/18

朝5時過ぎに家を出発し、ニュージャージーにあるニューアーク・リバティー国際空港まで電車で移動。
朝食では空港で前々から食べたいと思っていたイメージ通りのアメリカンなサンドイッチを食べることができた。
 
こういうのがアメリカのサンドイッチのイメージ。もさもさしたライ麦パンに大量のハムとチーズが挟まってる。

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ユナイテッド航空の直行便で4時間半かけてアルーバに到着。

アルーバはベネズエラのちょい北に浮かぶオランダ領の島。公用語として、オランダ語とパピアメント語というスペイン語ポルトガル語オランダ語が混合したクレオール言語が話されている。
ボナペティとかいう割にはスペイン語っぽい単語も聞こえてくるのでどういうことなのかなと思っていたが、クレオール言語だったようだ。
 
今回の旅行は新婚旅行第2弾ということで、
2月の新婚旅行第0弾 ウォルトディズニーワールド旅行
3月の新婚旅行第1弾 北イタリア旅行
に続き、南国のリゾートでだらだらすることを目的としていた。
 
空港からはタクシーでホテルまで移動。25ドルなのだが、これはUSドルで支払うことができる。
アルーバはオランダ領だが、USドルが流通しており、現地の通貨を用意する必要は一切ない。これはアメリカ人やアメリカ住まいの人にとってかなりの魅力である。
宿泊したのはHoliday Inn Resort Aruba - Beach Resort & Casino。ここに3泊した。
ホテル内の食事は全てルームチャージにて支払うことができ、タダで飲み食いしているような錯覚に陥る。さすがリゾート。ホテル沿いにはビーチやカジノがあるため、オールインワンストップで遊ぶためのビーチリゾートといった印象だ。
何気ないことではあるものの、ホテルのフロントの前に冷たいレモン水とオレンジ水が置いてあるのも、常夏のリゾートホテル感を醸し出していた。
泊まった部屋は予約時にPartially Ocean Viewという紹介だったが、海が目の前で日の入りも見える部屋だった。
 
文句なく南の島ですわ

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この日はまず海用品の調達として、サングラスとビーチサンダルとゴーグルを購入。ついでに部屋での宴会用に白ワイン(ボトル)とドリトスを購入した。

ひとまずホテルに併設されている深さ6ft(1.8m)のプールに入って肩ならしを済ませ、小手調べにホテル併設のバーアンドグリルでバーガーとビールを頼んだ。

 

結局バーガー食べちゃうんだよね

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続きまして、ベランダからの日没。

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そして夕食は海沿いのレストランで食事。結婚記念日ということもあり、シャンパンを注文。

店員に今日はハネムーンか?と問われたので、「イエス(第2弾だけど)、今日が結婚記念日なんだ」と伝えたところ、チーズケーキと間近でのサックス演奏でお祝いをしてくれた。
なかなか粋な計らいで1日目を終える。
 
5/19
二日目は寝坊。
ブランチとしてホテル近所のイタリアンレストランにてイングリッシュマフィンのサンドイッチとスパゲティポモドーロを食べた。店員にはハネムーンか?と問われ、「イエス(迫真)」と答えたものの何も出てこず。
続いてホテル沿いのビーチで海水浴。ホテルに併設されている藁葺き的なパラソルの下でのんびり南の島の風に吹かれた。
 
 
その後、自転車を借り、島を20分程度北上。シュノーケルポイントとして有名というボカ・カタリナというビーチに向かった。
しくじったことに、借りた自転車のサドルが立ち漕ぎしてギリ座れる程度の高さで調節も不可だったのだが、まあいいかとミスジャッジ。さらにはブレーキもハンドルについておらず、ペダルを逆回転させることで停止するタイプという異文化自転車。島の強い向かい風とイレギュラーチャリに難儀するも無事に到着できた。
ボカ・カタリナでは、ホテルのビーチでは見られなかったようなカラフルな魚をたくさん見ることができて誠に幸甚だった。
帰ってきてプールに入り、ビーチ沿いでモヒートを飲み、またしても部屋に戻り白ワインとドリトスをお供にサンセットを拝む。
 
海とモヒートと姉ちゃん

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そしてから近くのベルギーレストランでビールとリブアイステーキとシーザーサラダとポテトを食べる。
夜のビーチで砂遊びしてハンモックに揺られて夜風に吹かれて2日目を終了。
 
5/20
三日目は寝坊。この日はバスに乗り込み、1人2.6ドルかけてイーグルビーチへ。
 
15ドルで椅子を2脚借りて、海水浴とビーチでの昼寝に注力した。
お陰で足と背中に軽度の火傷を負ったものの、海はたいそう綺麗だった。
足のつかないところまで泳ぐのはプールなら全然平気なのに、海だと大自然に飲まれそうな恐怖心が多少湧いてくるのが不思議だ。
ビーチではアルーバのビールを飲み、バーガーとナチョスを食べた。ここのバーガーはやけにおいしかった。

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ホテルに戻り、またしても部屋からサンセットを拝む。
夜はソーセージが食べられるというテーマで店を探し、タパスバーに入店。アルーバのビールとカクテルを飲み、チョリソーやシーフードサラダ、シーフードパスタなどを愉しんだ。
 
バーでは外の席に座らせてもらい、閑散としたステージでカラオケに合わせて歌うおじさんの歌を聴きながら食事をしていた。すると通りすがりと思われる老夫婦が音楽に合わせてダンスを始めた。途端に客は増え、ついには拍手までまき起こるという盛り上がりを見せた。一度は立ち去ったと思われた老夫婦は数分後に再び現れ、またしてもダンスを披露し、訪れたバカンス客たちを楽しませてくれた。どうやら立ち去った訳ではなく、すぐそばのレストランで食事をしていたようだ。
歌手のおやじは便乗し、その老夫婦に何度もダンスを促していた。僕は、こいつ便乗してるなと感じた。
途中、別の中年夫婦が二番煎じでダンスをしていたが、あまり盛り上げることが出来なかったためか速やかに去っていった。
ホテルに戻ってからは日焼けした体に冷やしタオルを巻いて治療して過ごした。
 
5/21
最終日は早起き。ルームサービスでアメリカンブレックファーストを注文。1人分とは思えない分量がサーブされ、2人でなんとか食べきった。相変わらず日焼けが痛い。
 

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ホテルのプールで1時間程度日焼けした体をアイシング。11時半頃にパッキングを済ませ、タクシーで空港へ出発。
 
アルーバの空港は飛行機に乗り込む前に出国とアメリカへの入国審査を済ませることができる。アメリカの空港の怖〜い入国審査官と対峙せずに済むのは実にありがたい。実はこの空港、ターミナルもアメリカ行きとそれ以外行きに別れているため、いかにアメリカ人が来まくる島であるかということが分かる。
空港ではバーガーとホットドッグを食べ無事に出発。
 
ニューヨークに着いたのは11時過ぎだった。そこから何かに駆り立てられるように一風堂NYへ行き、ラーメンで旅を締めた。
 

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膝の痛み

昨年の11月にニューヨークシティマラソンに出場して、もともと痛めていた膝が完全に逝った。

 

5年前にランニングを始めて3、4年前くらいは週に2、3回くらいの頻度で10キロくらい走っていたのだけど、一昨年近所に陸上競技場を見つけて、ペース走(200mを55秒ペースで8km)とか、インターバル(200m5本)とか、レペティション(600m+200m)とか、1000mタイムトライアルとかやって追い込みすぎたら歩けなくなるくらい膝が痛くなった。

ちなみに、その当時は追い込みすぎて1000mのT.Tで自己サードベストの3分13秒と10000mの自己ベストの46分26秒(しょぼい)を叩き出した。

ランナーズニーすなわち腸脛靱帯炎であり、ストレッチ不足と走りすぎが原因だと判断して、そのときは入念なストレッチと休養でなんとか治した。

 

しかし、昨年の11月にほとんど練習せずに初マラソンに挑んだ結果、半分もいかないくらいの時点で右ひざが痛くて走れなくなった。何とか踏破はしたものの、翌日は歩くこともままならない始末。

それ以降、しばらくの休養を経てまた走ろうとするが、その度に痛めた膝が痛くてまったく走れない。ストレッチやらアイシングやらを試みてもだめだった。ああ貴重な趣味の一つであるランニングを失ってしまうのだろうか、いやまあそのうち治るかと楽観して放置していた。

 

しかし昨日、近所にあるランナーズショップに行って膝のサポーターをなんとなく眺めていたら店員さんが、どこが痛いんだ説明してみろ、と話しかけてきた。

ランナーズニーだと伝えたら、ランナーズニーねぇ(ニヤリ)、膝の痛みは膝が原因とは限らないぞ、調べてやるからちょっと面貸せといって足のサイズとか重心の位置を測るマシンに連れて行かれた。

余談だが、そのマシンはなかなかすごくて、片足をマシンの上に置くと下から足つぼのいぼみたいなのが伸びてきて、足の形を三次元で計測してくれる。

 

重心やらアーチの形やらを測定されて、店員さんがははーんみたいな顔をした。

店員さんに、左足を後方に置いて、右足の膝を曲げてみろと言われた。すると、膝が内転した。本来は、膝を曲げた際に膝の位置はつま先の中心に向かって下がらなければならないらしいが、僕の膝は大体右足の親指くらいの位置まで内側に向かって下がる。

確かに、中学時代から僕は蹴り足が外に流れるというフォームで、それが悩みだったのだが、走るフォームを見せたわけでもないのに見破るとはすごい。 

この膝の内転により、着地と蹴りだしの際に膝が無用に回転してしまうため、膝に必要以上の負荷がかかっていることが痛みの原因だという。

 

これを解消するためには、膝を曲げたときに真下に下がるようにアーチ(土踏まず)を持ち上げて支える靴の中敷を入れればいいということだった。

 

足が流れて膝がぶれるのは、先天的なX脚が原因で解消の術はないと思っていたが、思わぬ形で解決策が提示されてびっくりした。

ありがとうSuper Runners Shop, Times Square店。

まだ治ると決まったわけではないものの、ちょっとこの中敷を試してみたいと思う。

 

まさか膝の痛みを治すために足の裏に手を加えることになるとは、まったく想定していなかったので目から鱗だった。一見無関係だと思えるもの同士が実は有機的につながっていることを知るのはとても楽しい。

アメリカ人の1年

アメリカに来て丸1年が経過したので、日本にいると見えてこないアメリカ北東部の四季を書いてみたいと思います。

 

4月 花粉症
アメリカにも花粉症はあり、日本人ほど国民的ではないものの、苦しんでいる人をよく見かける。しかし、マスクをする習慣がない(むしろマスクをしているとテロリストと疑われる)ため、花粉に対して無防備。

5月 夏の始まり
メモリアルデーという祝日が最終月曜日にあり、この日がアメリカ人の気持ち的にBBQの解禁日となる。いわば、アメリカの夏の始まり。
ハドソン川には戦艦が何隻もやってくるらしい。

6月 梅雨がない
梅雨がないため、すっきりした気持ちいい天気の日が多い。
アメリカの夏は土砂降りの雨がほとんどない気がしている。夏の間、傘をささないといけない大雨にあったことはない。

7月 ジュライフォース
独立記念日(July fourthと呼ばれる)が盛大に祝われる。メディアはJuly fourth関連の報道を流し続け、当日夜には打ち上げ花火があがり、盛大に祝われる。また、Nathan’sのホットドッグの早食いもやっている。

8月 激寒冷房ニキ
思ったよりもかなり蒸し暑くてつらい。しかしながら一度屋内に入るとこれでもかと冷房が効いているため、日本人は仕事中もセーターを着ている。

9月 夏の終わり
Labor dayという祝日があり、この日がアメリカの夏の終わり、すなわちBBQ道具を片付ける日と言われている。

10月 ハロウィン
ハロウィンムードになる点は日本とさほど変わらない。
10月になると、かなり寒くなってきて、皆一様に「去年の冬は寒かったが今年はどうだろう」という話をし始める。

11月 サンクスギビングは日本の年末年始
サンクスギビングデイという祝日があり、一年で最もお休みムードの高まる月。
たった1日の祝日だが、その前後に休暇をつなげて長期休暇を取得するアメリカ人が多い。親戚が集まり、でっかい七面鳥の丸焼きをみんなで囲んで、アメリカンフットボールの試合を観戦するというのが典型的なアメリカ人の家庭。
まるで日本人が正月におせちを囲んで駅伝を見るような感じである。
Thanks givingからクリスマスまで、アメリカ人はHappy Holiday状態で全く働かない。サマータイムが終わる。

12月 クリスマス
サンクスギビングからクリスマスまではHappy Holiday状態でお休みムードは続く。街はクリスマスムード一色となるが、特にNYは多宗教なので、Merry Christmasという表現は避け、Happy Holidaysというのが一般的。
その代り、年末ムードはほとんどない。クリスマスが終わると年を越したような顔をして現れる。

1月 形だけの元日
元日だけが祝日であとは通常営業。クリスマスが終わり、街の華やかなムードはどこかへ消えてしまい、暗く冷たい冬の空気だけが残る。

2月 極寒
バレンタインデーは男性が女性にプレゼントをする日となっている。日本の習慣を伝えたところ、日本人は天才だといわれた。
一年で最も寒い月でもあり、私自身も-16℃を経験した。

3月 サマータイムの始まり
春が近づいてくる。それまで暗くどんよりしがちだった空に快晴が戻ってくる。
まだまだ極寒だが、サマータイムが始まる

 

開設にあたり

今日でアメリカに来てちょうど1年となったので、これを機にブログを開設してみたいと思います。

 

主にコンテンツは以下になると想定しています。

・旅行記

・アメリカ滞在に関すること

・ふと頭によぎった疑問に対する考察

・徒然なるエッセイ

 

よろしくお願いいたします。