リオ五輪陸上競技 男子400mリレーについて
先日終わったリオオリンピックは当然アメリカでも放送されていて、男子4×100mリレーにおける日本チームの銀メダルをリアルタイムで見ることができた。
一般向けには、日本の銀メダルは世界一のバトンパスによるものという分析にしばしば焦点が当てられているが、陸上ファン界隈ではその他に
・個々の選手の高い実力
・適材適所
という2つのポイントに言及されることが多い気がする。
まず個々の実力について。
今回予選・決勝を走ったメンバーは1走の山縣選手、2走の飯塚選手、3走の桐生選手、4走のケンブリッジ選手の4名だった。
まず1走の山縣選手。彼は今大会の100m準決勝で10”05で走っている。これは彼の自己ベストであり、オリンピックにこれまで出場した日本人の中で最速のタイムである。山縣選手は大舞台で安定した実力を発揮することに定評がある。
また、2走、3走の飯塚選手と桐生選手。桐生選手が100mで10”01を出した際、そのタイムは同シーズンの世界ランキング1位だった。ちょうど同じ時期に飯塚選手は200mでシーズン最速のタイムを出していた。つまり、100mと200mの短距離2種目で、日本人が世界ランキング1位を占めていた時期があり、その2名が今回走っていたのである。
また、ケンブリッジ選手は、その見た目から他の外国人選手と間違われやすい。マッスル根岸という、大学陸上の応援団長的存在が数年前まで中央大学に所属していたのだが、彼は山梨学院大学のエノック・オムワンバ選手に対して「ケンブリッジ飛鳥―!」と叫んでしまうという癖(ネタ)があった。
(参考)マッスル根岸のリオ五輪、4継直後のツイート
オムワンバすげーー!!
— マッスル根岸 (@52305815) 2016年8月13日
(参考)マッスル名言@2014/9/6
【マッスル名言】
— EKIDEN News (@EKIDEN_News) 2014年9月7日
ケンブリッジ飛鳥ー!
(オムワンバにたいして)#マッスル根岸 https://t.co/hN2mVcrpDJ
このように、今回の4継のメンバーは実際に走ったメンバーだけを見ても、日本のリレー史上類を見ないタレントが揃っていたのである。
続いて適材適所について。
4継は1走が第1コーナーを走り、2走がバックストレート、3走が第2コーナーを走り、4走がホームストレートを走る。2回のコーナーと2回のストレートがある。
今回の4人の中で100mの自己ベストタイムを純粋に並べると、以下の通りとなる。
桐生選手:10”01
山縣選手:10”05
ケンブリッジ選手:10”10
飯塚選手:10”22
タイムが速い人がホームストレートを走り、スピードが出しにくいコーナーに相対的にタイムが速くない人を配置すると単純に考えると、1走と3走にケンブリッジ選手と飯塚選手、2走と4走に山縣選手と桐生選手を配置したくなりそうだが、実際にそうはならなかった。その理由が適材適所にある(と思っている)。以下想像を多分に含むが、どのように走順を決定したかをまとめてみたい。
まず1走の山縣選手だが、彼はスタートの反応速度に定評がある。今回のリオ五輪100mの準決勝でも、組トップのリアクションタイムを出している。したがって、走力以上にスタートの実力を活かすために1走に配置されたようだ。
そして2走の飯塚選手。彼は100mではなく200mを専門とする選手である。2走はコーナーの出口から次のコーナーの入り口にかけて走るため、100mよりも少し長い距離を走ることとなる。そのため、トップスピードを維持する技術に長けている飯塚選手が配置されている。
そして桐生選手。カーブは桐生選手のようなピッチ走法タイプの選手に有利だと言われており、また桐生選手はカーブを走る技術が高かったようだ。そのため、持ちタイムは最も早いが、3走を任されることとなったのだろう。
そしてケンブリッジ選手。彼は加速力があり、トップスピードの速さに定評があるそうだ。そのため、バトンを受けて一気にゴールまで加速し、トップスピードを落とさずに粘りきるという技術を買われて4走になったのだと考えられる。
このように、個々のタイムだけではなく、各人の適正を考慮して最適な役割を与えるということが、全体のタイムを向上させているのではないだろうか。
この適材適所という点は、組織の実力を最大限まで発揮させるということを考える際にも、非常に含蓄のある題材だと思う。それについてはまた改めてまとめよう。
トレッキング着手
少し前に、トレイルランニングシューズを購入した。
登山靴は持っているが、サイズが少し小さくてつま先が痛くなるという問題があることと、登山靴を必要とするような山にはアメリカにいる間はおそらく登らないため、低山用の靴が欲しかったというのが主な動機だった。あとはグレートトラバースの田中陽希さんに触発されたというのが裏の動機である。
そして7月頭、MERRELLのトレイルランニングシューズを購入。
更に、6月末にはNY州のDriver’s licenseを取得した。
これは随分と時間がかかった。5月頭に筆記試験を受けて合格。ここで仮免許のようなものを取得できる。その後、自動車学校のようなところで5時間講習を受ける。NYではFuji Driving schoolというところが日本人向けに日本語での5時間講習を開催しており、これを筆記試験合格直後の5月7日に受講した。
その直後に実技試験の予約。これはFuji Driving schoolが担ってくれるのだけど、6月の28日まで予約が取れないとのことで、2か月弱待つこととなった。夏の免許取得の予約はこれが普通らしい。
そして6月28日、試験直前にこれまたFuji Driving schoolの実技講習を1時間受け、アメリカ人の教官を助手席に乗せて10分程度実技試験を受けて合格した。この時点では、ペラペラの紙で仮ライセンスが渡される。これでも運転はできるのだけど、免許証のカードは合格からさらに1か月後の8月頭にようやく届いた。
一つ一つのステップは簡単なくせに、実際の免許取得まで丸3か月もかかった。
そして、7月30日、ついにアメリカでのトレッキングデビューを果たした。
初回はBear Mountain。標高393m。丘ですねこれは。
2回目はMinnewaska State Parkを散策。トレイルをちょっと走り、トレイルランニングの味見をした。
そして3回目は昨日、Pine Meadow LakeというBear Mountain State Parkにある湖周辺のトレイルを散歩。これはガチでただの散策だった。
日本で3000m前後の山に登っていたのに比べると物足りないものの、異国の地でトレッキングの勝手がわからない以上はあまり冒険できないのも事実。また、そもそも東海岸はアパラチア山脈という、なだらかな山脈の代名詞のような山しかないので、あまり高所の展望には期待しないほうがいいのかもしれない。少なくとも米国東海岸は、どちらかといえば、登山よりもトレイルランニングがメジャーなのだと思う。
今度は誰かの紹介でもう少し本格的なトレイルランニングか、標高があって展望のいいところに行ってみたいものだ。
来月はカナディアンロッキーに行く予定なので、そこでどのような違いを感じることができるか、楽しみ。
【おまけ:レンタカーの車窓から】
Minnewaska state parkの外観
Freeway的なん
Riverside drive 奥に見えてるのはハドソン川
ボストン旅行
仕事において相応のストレスが溜まっており、何かしら非現実的なことがしたいと思い立ったのが先週木曜日のこと。
ニューヨークメッツの試合を見に行こうかと思ったがメッツはアウェイゲームのため不在。ミュージカルを見に行こうかとも思ったが、もっと現実から離れるために、ボストンでも行くかということになり、宿とアムトラック(アメリカの新幹線)を予約した。
土曜日、朝5時半に起床し、6時に家を出発。7時にニューヨークのPenn stationを出発するアムトラックに乗った。
4時間15分後の11:15にボストンのSouth stationに到着。
前にワシントンD.C.に行った時にも似たような印象を受けたが、ニューヨークと比較して道が綺麗で人が少ないというのが第一印象だった。
ホテルはHarborside innというホテルを予約していたので、そこまで15分ほど歩いて移動し、荷物を置いて早速観光することにした。
ボストンの観光スポットや名物をざっくりリストアップすると、
①アメリカ独立戦争の発端の地
④ボストンレッドソックス
⑤シーフード
⑥水陸両用バス
あたりが挙げられるが、今回は①、⑤、⑥を楽しむこととした。
観光の内容を時系列でまとめると概ね以下の通り。
ホテルの近くに、Quincy marketというショッピングモールがある。まずはここに移動してロブスターロールとクラムチャウダーを昼食として食べた。※⑤
続いて、ボストンの主要な観光スポットをつないでいる、Freedom trailに沿って、ボストンの史跡を巡ることにした。※①
Freedom trailとは:
全てを巡るのに大体3時間程かけた後、かなり早めの夕飯を、Union oyster barで。
ここはケネディ元大統領がよく来ていたところとのことで、ケネディ大統領の指定席も仰々しく飾られているのが印象的だった。
夕方4時過ぎに入ったにも関わらず、30分も待たされたので人気なのだろう。
ここでオイスターとロブスターを食べた。※⑤
さらにお昼に食べそびれたclam chowder with bread bowlを食べてホテルに戻る。 ※
疲れと酔いで、その日は6時過ぎにベッドに倒れこみ、翌朝9時頃まで寝た。
日曜日は寝坊したものの、帰りの電車が17:40発であったために十分に観光できた。
まず地下鉄のGreen lineでGovernment centerからPrudentialまで移動。すぐ近くを発着するDuck tourに参加した。※⑥
こんな車に乗る。
陸上と水上
Duck tourは水陸両用バスに乗ってボストン市街の観光ポイントを通り、最後に川に着水してざっと漂流してから上陸して出発地点まで帰ってくるというもの。
1人35ドルくらいするので高いものの、水陸両用バスの物珍しさとボストン市街観光を兼ねられるので乗ってみる価値はあると思う。
続いて、Duck tourのスタート地点のすぐそばにある、legal seafood restaurantで食事。ここではロブスタービスクとフィッシュアンドチップスとカラマリフライを食べた。※⑤
そこからボストン市街を散策し、ベイサイドを軽く観光してボストンSouth stationへ。
ボストンで受けた印象を改めて箇条書きにすると
・アメリカがイギリスの植民地だったことを意識させる都市
・アメリカ最古の○○を謳う施設が多い
・景観規制か、DUNKIN’ DONUTSやセブンイレブンも全て緑と茶色に統一されている
・DUNKIN’ DONUTSがめちゃめちゃたくさんある
ボストンにむちゃくちゃたくさんあるDUNKIN' DONUTS。アイスラテ、ラージ。でかすぎワロチ
・サミュエルアダムスという英雄の名前を冠したボストンラガーがおいしい
サミュエルアダムスはもともと建国の父と呼ばれてる人物でボストンにお墓もある。日本に置き換えると神武天皇っていう地酒があるみたいなもんですな。
・6月はまだまだ肌寒い
そのあと帰ってきたニューヨークは臭くて汚かった。
それでもなお、なんだか I Love New York City と叫びたくなるような都市だなと感じた。ボストンの歴史あるきれいな町並みとはまったく違う魅力のある都市なんだなと改めて感じることができるのもまた、旅の面白さ。
マンハッタン文化圏
今日珍しく日本人以外の同僚と昼食を食べに行く機会があって、そこで聞いたそれぞれの出身に関わる話が面白かったので備忘録として書いておく。
今日食事に行ったのは、
Aさん:インド人(18歳からアメリカ)
Mさん:ロシア人(8歳からアメリカ、母親の実家はカザフスタン)
Rさん:アメリカ人(スペインとイタリアのハーフ)
Jさん:アメリカ人(イギリスとイタリアのハーフ)
という人たち。
それぞれから興味深い話を聞くことができたのでまとめておく。
Aさんより
今日は彼にインド料理屋に連れていてもらう会だった。
連れて行ってもらったお店の料理はとてもおいしかったが辛かった。
Mさんは辛い、口が痛いと言っていたが、Aさんはインド料理を食べてもスパイシーだと感じないそうだ。
韓国人がキムチを平然と食べるのと同じように、インド人もインド料理を食べても平気なようだ。
彼によれば、マンハッタンにあるインド料理屋は、大体インド北部の料理をベースにしているところが多いらしい。
一口にインドといっても、北から南まで縦長で、文化もかなり異なるのであろう。
彼はインドのゴアというところの出身だということなのだが、ゴアはロシア語に溢れていると言っていた。
ロシア人がバカンスで来る土地なのだそうだ。
バカンスでインドに行くという発想は東アジアの人間からはなかなか想像がつかない。
Mさんより
彼はお母さんの実家がカザフスタンで、来週帰省するらしい。
インド料理を食べながら、家に帰ったみたいだとしきりに言っていた。カザフスタンにもサフランライスやインドの香辛料の効いた料理がよく食べられているようだった。
カザフスタンとインドを一連のものとして見做したことがなかったのでとても新鮮だった。
Rさんより
彼は女好きなのだが、それはイタリアの血だったのかと今日初めて知った。
Jさんより
日本は他の国と違って単一民族国家で、同一種族での交配が主であるために遺伝子が弱くなるんだよな。
と言われて返事に困った。
改めてだけれども、僕は中央アジアに関する知識が全然ないなということに気がついた。
トルコの隣国はどこだという話にもなったが、僕は、あーんイスタンブール?という謎の返事をして無事死亡。
もっといろいろ調べ、聞いてみたいものだ。
総じて、ニューヨークに住む人はルーツに関する話や文化的な違いに関する話をするのが好きだなと感じる。
ユダヤ教やイスラム教の連中とごく普通に仕事で喧嘩したりする環境は、改めて考えてみると貴重だ。
アルーバ旅行
5/18から5/21まで、カリブ海に浮かぶABC諸島の一角、アルーバという島に行ってきたので、簡単に旅行記をまとめておく。
5/18
ユナイテッド航空の直行便で4時間半かけてアルーバに到着。
この日はまず海用品の調達として、サングラスとビーチサンダルとゴーグルを購入。ついでに部屋での宴会用に白ワイン(ボトル)とドリトスを購入した。
ひとまずホテルに併設されている深さ6ft(1.8m)のプールに入って肩ならしを済ませ、小手調べにホテル併設のバーアンドグリルでバーガーとビールを頼んだ。
結局バーガー食べちゃうんだよね
続きまして、ベランダからの日没。
そして夕食は海沿いのレストランで食事。結婚記念日ということもあり、シャンパンを注文。
膝の痛み
昨年の11月にニューヨークシティマラソンに出場して、もともと痛めていた膝が完全に逝った。
5年前にランニングを始めて3、4年前くらいは週に2、3回くらいの頻度で10キロくらい走っていたのだけど、一昨年近所に陸上競技場を見つけて、ペース走(200mを55秒ペースで8km)とか、インターバル(200m5本)とか、レペティション(600m+200m)とか、1000mタイムトライアルとかやって追い込みすぎたら歩けなくなるくらい膝が痛くなった。
ちなみに、その当時は追い込みすぎて1000mのT.Tで自己サードベストの3分13秒と10000mの自己ベストの46分26秒(しょぼい)を叩き出した。
ランナーズニーすなわち腸脛靱帯炎であり、ストレッチ不足と走りすぎが原因だと判断して、そのときは入念なストレッチと休養でなんとか治した。
しかし、昨年の11月にほとんど練習せずに初マラソンに挑んだ結果、半分もいかないくらいの時点で右ひざが痛くて走れなくなった。何とか踏破はしたものの、翌日は歩くこともままならない始末。
それ以降、しばらくの休養を経てまた走ろうとするが、その度に痛めた膝が痛くてまったく走れない。ストレッチやらアイシングやらを試みてもだめだった。ああ貴重な趣味の一つであるランニングを失ってしまうのだろうか、いやまあそのうち治るかと楽観して放置していた。
しかし昨日、近所にあるランナーズショップに行って膝のサポーターをなんとなく眺めていたら店員さんが、どこが痛いんだ説明してみろ、と話しかけてきた。
ランナーズニーだと伝えたら、ランナーズニーねぇ(ニヤリ)、膝の痛みは膝が原因とは限らないぞ、調べてやるからちょっと面貸せといって足のサイズとか重心の位置を測るマシンに連れて行かれた。
余談だが、そのマシンはなかなかすごくて、片足をマシンの上に置くと下から足つぼのいぼみたいなのが伸びてきて、足の形を三次元で計測してくれる。
重心やらアーチの形やらを測定されて、店員さんがははーんみたいな顔をした。
店員さんに、左足を後方に置いて、右足の膝を曲げてみろと言われた。すると、膝が内転した。本来は、膝を曲げた際に膝の位置はつま先の中心に向かって下がらなければならないらしいが、僕の膝は大体右足の親指くらいの位置まで内側に向かって下がる。
確かに、中学時代から僕は蹴り足が外に流れるというフォームで、それが悩みだったのだが、走るフォームを見せたわけでもないのに見破るとはすごい。
この膝の内転により、着地と蹴りだしの際に膝が無用に回転してしまうため、膝に必要以上の負荷がかかっていることが痛みの原因だという。
これを解消するためには、膝を曲げたときに真下に下がるようにアーチ(土踏まず)を持ち上げて支える靴の中敷を入れればいいということだった。
足が流れて膝がぶれるのは、先天的なX脚が原因で解消の術はないと思っていたが、思わぬ形で解決策が提示されてびっくりした。
ありがとうSuper Runners Shop, Times Square店。
まだ治ると決まったわけではないものの、ちょっとこの中敷を試してみたいと思う。
まさか膝の痛みを治すために足の裏に手を加えることになるとは、まったく想定していなかったので目から鱗だった。一見無関係だと思えるもの同士が実は有機的につながっていることを知るのはとても楽しい。
アメリカ人の1年
アメリカに来て丸1年が経過したので、日本にいると見えてこないアメリカ北東部の四季を書いてみたいと思います。
4月 花粉症
アメリカにも花粉症はあり、日本人ほど国民的ではないものの、苦しんでいる人をよく見かける。しかし、マスクをする習慣がない(むしろマスクをしているとテロリストと疑われる)ため、花粉に対して無防備。
5月 夏の始まり
メモリアルデーという祝日が最終月曜日にあり、この日がアメリカ人の気持ち的にBBQの解禁日となる。いわば、アメリカの夏の始まり。
ハドソン川には戦艦が何隻もやってくるらしい。
6月 梅雨がない
梅雨がないため、すっきりした気持ちいい天気の日が多い。
アメリカの夏は土砂降りの雨がほとんどない気がしている。夏の間、傘をささないといけない大雨にあったことはない。
7月 ジュライフォース
独立記念日(July fourthと呼ばれる)が盛大に祝われる。メディアはJuly fourth関連の報道を流し続け、当日夜には打ち上げ花火があがり、盛大に祝われる。また、Nathan’sのホットドッグの早食いもやっている。
8月 激寒冷房ニキ
思ったよりもかなり蒸し暑くてつらい。しかしながら一度屋内に入るとこれでもかと冷房が効いているため、日本人は仕事中もセーターを着ている。
9月 夏の終わり
Labor dayという祝日があり、この日がアメリカの夏の終わり、すなわちBBQ道具を片付ける日と言われている。
10月 ハロウィン
ハロウィンムードになる点は日本とさほど変わらない。
10月になると、かなり寒くなってきて、皆一様に「去年の冬は寒かったが今年はどうだろう」という話をし始める。
11月 サンクスギビングは日本の年末年始
サンクスギビングデイという祝日があり、一年で最もお休みムードの高まる月。
たった1日の祝日だが、その前後に休暇をつなげて長期休暇を取得するアメリカ人が多い。親戚が集まり、でっかい七面鳥の丸焼きをみんなで囲んで、アメリカンフットボールの試合を観戦するというのが典型的なアメリカ人の家庭。
まるで日本人が正月におせちを囲んで駅伝を見るような感じである。
Thanks givingからクリスマスまで、アメリカ人はHappy Holiday状態で全く働かない。サマータイムが終わる。
12月 クリスマス
サンクスギビングからクリスマスまではHappy Holiday状態でお休みムードは続く。街はクリスマスムード一色となるが、特にNYは多宗教なので、Merry Christmasという表現は避け、Happy Holidaysというのが一般的。
その代り、年末ムードはほとんどない。クリスマスが終わると年を越したような顔をして現れる。
1月 形だけの元日
元日だけが祝日であとは通常営業。クリスマスが終わり、街の華やかなムードはどこかへ消えてしまい、暗く冷たい冬の空気だけが残る。
2月 極寒
バレンタインデーは男性が女性にプレゼントをする日となっている。日本の習慣を伝えたところ、日本人は天才だといわれた。
一年で最も寒い月でもあり、私自身も-16℃を経験した。
3月 サマータイムの始まり
春が近づいてくる。それまで暗くどんよりしがちだった空に快晴が戻ってくる。
まだまだ極寒だが、サマータイムが始まる