【Cancun】2/4 最終日
旅行最終日、特に大きなイベントは予定せず、ホテル周辺の施設を見てまわることにした。
朝食をまたしても昨日の朝と同じビュッフェで食べ、部屋に戻って荷造りをして11時頃にチェックアウト。スーツケースをクロークに預けてホテルを出発。
朝食をまたしても昨日の朝と同じビュッフェで食べ、部屋に戻って荷造りをして11時頃にチェックアウト。スーツケースをクロークに預けてホテルを出発。
オムレツを作っているところ
まず、ホテルから歩いて5分ほどのところにある"CANCUN"の文字のモニュメントに向かった。
大体どこのリゾートにもある、地名のモニュメントを歩いて見に行った。
モニュメントの後ろにはとても綺麗なカリビアンブルーの海が広がっている。
モニュメントの前には写真撮影をしてくれるチームが待機していて、持っていったカメラを渡すと写真を撮ってくれた。残念ながらチップを渡さないといけない。
さらに彼女たちが持っている一眼レフカメラで撮影したものを5ドルで売ってくれるというサービスもしていたが、買っている人は見かけなかった。
モニュメントの前には写真撮影をしてくれるチームが待機していて、持っていったカメラを渡すと写真を撮ってくれた。残念ながらチップを渡さないといけない。
さらに彼女たちが持っている一眼レフカメラで撮影したものを5ドルで売ってくれるというサービスもしていたが、買っている人は見かけなかった。
このロゴの色使いといいフォントといい、どこかの企業ロゴに似ている気がするのだけど・・・
そこからバスに乗って、La Izlaショッピングモール、Kukulkanショッピングモールという、カンクンホテルゾーンの2つの大きなショッピングモールに行ってみた。バスは2人で26ペソなので、米ドルで2ドル程度。とても安い。
土曜日にもかかわらず、ショッピングモールはとても閑散としていた。La Izlaでお土産に小さめのテキーラを購入し、再びホテルに戻った。
Kukulkanショッピングモール
ちなみに、ショッピングモールでドルで買い物をすると、お釣りをペソでくれる確率が高い。そのため、両替所でドルを両替するよりも、ショッピングモールでドルを使い、お釣りをペソでもらうという手法が手数料をかけずにペソを手に入れる手っ取り早い手段かもしれない。
さて、このホテルのオールインクルーシブはチェックインの際につけてもらうリストバンドさえつけていれば、チェックアウトした後でも食事を自由に楽しむことができる。そのため、ホテルに戻って最後の暴飲暴食をすることにした。
ホテルのバーで、ストロベリーダイキリとフローズンマティーニ、チェラーダをいただき、プールサイドに移動して潮風に吹かれつつのんびりした。
少しお腹が空いたので、またしても朝と同じビュッフェで遅めの昼食を食べ、荷物を受け取ってタクシーで空港に移動。
スムーズにチェックインを済ませて、免税店でペソを使い切り、飛行機にて帰途につく。そして23時過ぎにようやくアメリカに再入国。ニューヨークは氷点下でした。25℃から一気に氷点下へ。。。
【総括】
あっという間の1週間だったが、全日程通して暑すぎるということもなく、とても快適な旅行だった。
ところで、今回は職場環境が変わって初めての休暇だったのだが、改めて休暇がリフレッシュという観点でどのような効果を発揮できるかということを考えることができた。
言い換えると、長期休暇明けにまた社会復帰してもいいかなと思える条件は何かということについて考えた。
休暇は嫌なことや辛いことから受けるストレスを解消できるものではなく、体力的な消耗の回復や、物事に没頭して近視眼的になりすぎている状況の打開、飽きの解消、という面で効果を最大限に発揮するものだと強く感じる。
体力的に疲れていれば思い切り睡眠を取ればいいし、何かに集中しすぎているならば目線を上げて視野を広げるいいチャンスになる、飽きが来ているなら気分転換をすればいい。
そういう目的に、長期休暇はとてもフィットする。
その一方で、重圧や憂鬱さは長期休暇では完全回復しない。
休暇中に、責任や判断を迫られる重圧から一時的に解放されることはあれども、あくまで一時的なものでしかなく、こういった憂鬱さによって半年(半期に一度長期休暇を取得すると仮定)近く溜まり続けたダメージは、1週間程度の休暇ではなかなか精神ゲージ満タンまで回復できない。
嫌なことや辛いことから受けるストレスを解消するためには、真っ向からぶつかるか、ルーティン化による思考停止か、慣れるか、逃げるかといった、ストレスそのものに対する直接対処が必要になるのであろう。
休暇のような、一時的な離脱では逆効果ともなりうることに注意しないといけないと思う。むしろ、月に一度平日休みを必ず取得するくらいの方が、適切な回復を繰り返すことができて有効かもしれない。
社会人として生き延びるに当たって、休暇の持つ意味合いを改めて考えるいい機会となった。
あっという間の1週間だったが、全日程通して暑すぎるということもなく、とても快適な旅行だった。
ところで、今回は職場環境が変わって初めての休暇だったのだが、改めて休暇がリフレッシュという観点でどのような効果を発揮できるかということを考えることができた。
言い換えると、長期休暇明けにまた社会復帰してもいいかなと思える条件は何かということについて考えた。
休暇は嫌なことや辛いことから受けるストレスを解消できるものではなく、体力的な消耗の回復や、物事に没頭して近視眼的になりすぎている状況の打開、飽きの解消、という面で効果を最大限に発揮するものだと強く感じる。
体力的に疲れていれば思い切り睡眠を取ればいいし、何かに集中しすぎているならば目線を上げて視野を広げるいいチャンスになる、飽きが来ているなら気分転換をすればいい。
そういう目的に、長期休暇はとてもフィットする。
その一方で、重圧や憂鬱さは長期休暇では完全回復しない。
休暇中に、責任や判断を迫られる重圧から一時的に解放されることはあれども、あくまで一時的なものでしかなく、こういった憂鬱さによって半年(半期に一度長期休暇を取得すると仮定)近く溜まり続けたダメージは、1週間程度の休暇ではなかなか精神ゲージ満タンまで回復できない。
嫌なことや辛いことから受けるストレスを解消するためには、真っ向からぶつかるか、ルーティン化による思考停止か、慣れるか、逃げるかといった、ストレスそのものに対する直接対処が必要になるのであろう。
休暇のような、一時的な離脱では逆効果ともなりうることに注意しないといけないと思う。むしろ、月に一度平日休みを必ず取得するくらいの方が、適切な回復を繰り返すことができて有効かもしれない。
社会人として生き延びるに当たって、休暇の持つ意味合いを改めて考えるいい機会となった。