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N堂の備忘録

主に身の回りのことをエッセイ形式で。

邪悪な中学生

中学生にも邪悪な輩というのは居るもので…

 

彼の通う中学校はごく普通の中学校だったが、県下に誇る強豪校として知られている分野が2つあった。

駅伝と合唱である。

 

駅伝は、陸上部の長距離ブロックのメンバーをベースに、野球部やサッカー部、バスケ部などからスカウティングされてきた長距離が得意なメンバーが加わり、夏休み前に駅伝部を結成する。9月初旬の市駅伝大会に出場。そこを突破すれば10月の県駅伝大会、更に進むと12月の全国中学校駅伝大会にまで進出することができる。

彼は陸上部の長距離ブロックに所属しており、中学1年生のときから毎年駅伝部に参加していた。この活動のことを以下では駅伝部と呼ぶ。

 

一方の合唱は3年生の選択授業が母体となっているのだが、選択授業でありながらNHK合唱コンクール朝日新聞が主催する全日本合唱コンクールという2つのコンクールに出場するのが慣例となっていた。選択音楽を受講することは学校の代表としてのコンクール出場に直結していた。

それもあり、授業の選択者はその中学校の各部活動で中心的存在だった生徒が集まりやすく、モチベーションの高いメンバーから形成される団体となる。この活動のことを以下では選択音楽と呼ぶ。

ちなみに、この選択授業はいくつかの実技科目から1つを選択するシステムで、体育、美術、音楽などのなかから一つを選ぶ。

 

中学1年生の時から駅伝部に所属していた彼は、3年時に部長となり、自らの中学校を県大会出場に導くというミッションを担った。一方、3年生の必修科目である選択授業で彼は音楽を選択していた。実技科目で最も音楽が好きだったからだ。

 

駅伝部も選択音楽も、各々コンペティションでの勝利に向けてどちらも夏休みに毎朝7時頃から練習があった。駅伝部にも選択音楽にも所属していた彼はどちらかを選ばなければかったが、気持ちは初めから駅伝一本でいくということで固まっていた。駅伝部の部長が練習を時々休んで選択音楽の練習に参加するというわけにはいかない。それに、駅伝部の正選手として県大会出場することは、彼にとって中学1年生の頃からの目標だった。中学1年のときに市大会で敗退して涙している先輩の姿をみて、自分が駅伝部の部長として部を県大会に導くと決意していたのである。

 

実は選択音楽の授業において、コンクール出場は任意であった。最初の授業の際にコンクールを目指した練習に参加するかどうかを表明できるのである。先のように心を決めていた彼も参加の意志を問われた際には、駅伝部の活動に専念したいのでコンクール参加に向けた練習は辞退する旨を宣言していた。音楽好きの彼にとっては後ろ髪を引かれつつの決断であった。

 

しかし、好機が重なり、彼は選択音楽にスカウトされ、駅伝部と選択音楽を両立させてもらえることとなった。

夏休みに入ってすぐ、駅伝部の練習からの帰り道に、車に乗った学年主任の先生から声をかけられ、家まで送るから乗れと言われた。その学年主任の先生はたいそう厳しい先生として有名で生徒からは畏怖されていたのだが、彼はその先生の車に乗せられた。その車中5分程度で先生は彼に単刀直入に「駅伝部との両立で構わないから選択音楽の授業に参加してみないか」と告げた。

訊くとその理由は、駅伝部と選択音楽の両立を宣言した女子生徒がいたこと、そして選択音楽を指導する先生が彼のことを一定の戦力として見出してくれたということだった。

その女子生徒達は駅伝部からスカウトされており、選択音楽をメインにしつつ、空いた日に駅伝部の練習に参加するスタイルで双方に参加することを宣言したそうだ。こうして両立の例ができたことから、選択音楽の先生がぜひ戦力として彼にも練習に参加してほしいとのオファーを出したのである。

 

彼は二つ返事でこのオファーに応じたい気持ちを抑え、次のような保険をかけた。

「お誘いはとてもうれしいですが、僕は駅伝部の部長であり駅伝の活動に支障がでるようなことは避けたいと考えています。もし駅伝の練習を最優先し、空いた時間で選択音楽の練習に参加するという方針で構わなければ、選択音楽にも微力ながら協力したいと思います。」

恐れ多くも、尊敬する学年主任の先生に、このコメントを選択音楽の先生にも伝えてもらえるように念押しした上で、彼は晴れて選択音楽の練習に参加できることになった。

 

彼の夏休みはとても忙しくなった。朝7時半から9時半まで駅伝の練習に参加。駅伝部の練習が終わり次第、校舎4階端の音楽室にダッシュして選択音楽の練習に30分だけ参加する。駅伝部の練習が休みの日だけ選択音楽の練習にフル参加する。

 

ここで少し選択音楽の中の様子に触れておきたい。

先にも書いた通り、選択音楽は3年生が自分の意志で中学最後の青春を合唱に捧げるべく集まってくるのだが、合唱コンクールにも当然各校の出場人数に定数があるので、受講した生徒全員が出られるわけではない。夏休みの序盤には受講者の中でオーディションがある。全員の前で一人ずつ自分のパートを歌わされるという、思春期の中学生にはとても恥ずかしい関門を突破しなければいけない。しかしこれを経てメンバーは全員仲間でありライバルとして意識させられて、連帯感を高めていくのである。

また、著名な合唱の先生に教えを請うたりもする。とある高名な先生のところに訪問授業を受けに行った際には、「男声は全国レベルだね」などとおだてられ乗せられたりもした。

さらに授業の顧問をしている先生がまた生徒の意識を高めるのがうまい。初回のオーディションでほとんどの生徒を不合格にしてみたり、練習の集中力が下がっているときには合唱を中断してミーティングさせてみたりする。喉を守るために生徒たちにマスクをつけるよう勧めたりもする。

ここまでお膳立てされると、この年頃の人間というのは簡単に洗脳され、選民思想とプロ意識が植えつけられるのである。「俺たちは普通の部活とは一味違う、ハイレベルな目標に向けてストイックに頑張っているんだ。俺たちは特別なんだ…」

彼は駅伝中心の生活を送っていたため、選択音楽の生徒たちが不気味に合唱のプロ意識に染まり、それがエスカレートしていく姿を、多少距離をおいて眺めていた。

 

夏休みは明けて9月。

駅伝部は無事に市駅伝大会で総合3位となり、10月の県大会に出場することとなった。その一方、選択音楽についても、NHK合唱コンクールの県大会で金賞を受賞し次のステージに進むこととなった。NHK合唱コンクールで県大会を突破するのは、県内で上位2校のみであるため、メンバーは大いに喜ぶとともに、更に意識を高めていくことになる。

そして続けざまに全日本合唱コンクールにも出場し、見事金賞を受賞。こちらも次のステージに進むこととなった。しかし、このコンクールから帰るバスは重苦しい雰囲気に包まれていた。コンクール終了直後に先生から、「結果は金賞だったからいいものの、中身は全くだめ。反省が必要」という旨の説教があり、メンバーもその言葉を受けて、確かに自分たちは失敗した、もっと練習しなければいけない、と急に悔しがり始めたのである。

彼にとってその光景はなんとも言えない不気味さを帯びたものだった。残念ながら彼自身が出来の悪さをいまひとつ自覚できていなかったこともあるが、当初より目標は金賞受賞による県大会突破だったはずで、そもそも、自分たちは自分たちの歌の良し悪しなどを自己採点できるレベルに達していないはずだった。彼は強烈な違和感を覚えていた。

 

そんな中で事件が起こる。

このコンクールの直後に、先生からこれまでの活動に関する感想文を提出するように宿題が出た。彼は軽率だった。彼は提出の締切り当日に付け焼き刃で感想文を書き上げ、「これまでの活動に今のところ満足しており、これからも楽しくやりたい」という旨をしたためたのである。

後日ミーティングが開かれ、提出された感想文について先生が総評を述べた。その内容は概ね「みなさんからちゃんとこの間のコンクールのことを反省して改善していきたいという意志が見受けられた。まだ君たちも少しは見込みがあるようだ。しかし、これからも楽しみたいなんて書いている人もいました。心当たりのある人はしっかり反省するように。」というもの。生徒たちも、誰だそんなのんきなことを言っている奴はと怒りをあらわにしていた。彼はしくじった。

更に彼は個別に先生に呼び出され、どこから聞きつけたのか、彼の駅伝部での記録が伸び悩んでいることを指摘された。今回の全日本合唱コンクールのこともあるし、もし駅伝で県大会の正選手になれない見込みなのであれば、駅伝部の活動からは抜けて、合唱一本にしなさいというのである。

 

確かに、県大会出場を決め、彼は駅伝部における大きな目標を既に達成していた。駅伝部は後輩たちに任せておけばいい状態になっていたので、県大会については隠居しようかなと考えていたところでもあった。しかしそれでは話が違う。当初より駅伝を主軸に据えると宣言していたのだから。彼にとって合唱一本化という選択肢はあり得なかった。大人しく選択音楽の練習からすごすごと離脱し、駅伝の練習に専念することもできたが、彼は邪悪だった。

「先生の指示を退け、これまで通り駅伝部の活動を続け、更にそれについて文句を言えない状況を築き上げる。」そして彼は一計を案じた。

 

まず、先生のところに行き、「僕は駅伝との両立により合唱に専念できていなかったため、前回のコンクールを含め選択音楽のメンバーに迷惑をかけてしまった。僕は選択音楽の練習をやめたい。」と申し出た。先生は「わかった。しかし本当に君が辞める必要があるほど迷惑をかけているかミーティングでみんなに議論させたい。」と答えた。彼が選択音楽から離脱するというカードを切ることを想定していなかった先生は虚を突かれ、回答を保留した。

 

数日後、ミーティングは開かれた。議論は紛糾し、収集がつかなかった。

意識高く高潔な考え方をすれば、コミットメントが中途半端な人はチームの輪を乱すので離脱してもらった方が望ましい。しかしながら、その高潔な決断をするには彼はあまりにも大きな戦力だった。彼は数少ないオーディションの一発合格者であり、男声バスパートの柱だった。「簡単にやめさせることはできない…」。

 

そして決断は彼に委ねられた。

ミーティングの場で「辞めなければいけないかは君の判断だ。」という結論がでる。彼はあらためて「迷惑をかけるかもしれないが、もし駅伝の練習を最優先し、空いた時間で選択音楽の練習に参加するという方針で構わなければ、今後も選択音楽の活動に微力ながら尽力したいと思います。」と宣言した。

 

こうして彼は、先生の合唱一本化の指示を退け、これまで通り駅伝部主体での選択音楽との両立が保証された。先生は彼の持つ選択音楽離脱のカードにより、それ以上彼に選択音楽へのコミットメントを要求することができなくなった。

 

彼の行動は邪悪さに加えてもう一つの意義があったと考える。

彼の問題提起は「意識が高いのも結構だけど、自分の実力も客観的に見極めようね」ということだった。意識が高いことは高い目標を目指すうえでとても重要なことだが、謙虚さを失ってはいけない。意識の高さに見合った実力を身に着けないと思わぬ形で足元をすくわれる。

彼がもし取るに足らないしがない一戦闘員であったならば、辞めたければ辞めればいいのでは?と一蹴されたことだろう。